地方公務員(事務)経験談

市役所職員から法科大学院に進むも3回連続で不合格。ただ、だかからこそ見えてきたものがある。

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取材エリア

関西

お名前

升田健二 様(仮名)

経歴

1994年4月、大津市役所に入庁(奉職)。2006年3月退職(計12年)。
2006年4月、法科大学院(関西の私立)に入学。
2009年3月、同校を卒業。司法試験を3度受けるも、いずれも不合格(いわゆる三振=司法試験受験資格を失う)
2012年10月 関西の私立大学にて勤務開始

市役所を退職後、法科大学院に進学するも司法試験を3回連続で不合格になり受験資格を喪失。その後、大学職員として就職された升田さんのインタビューです。



本日はインタビューに協力いただきありがとうございます。
では、公務員時代のお仕事内容から聞かせていただけますでしょうか。


 本日はこちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
 大学卒業後、繊維メーカーに就職しましたが、この先の展望の不安もありこの民間企業を1年半で退職し、大津市役所に入庁しました。1994年のことです。ここから退職まで12年間、お世話になりました。

 最初に配属になったのは保険課でした。直接の担当は、高額療養費の支払業務です。これを3年間担当しました。もちろん窓口業務や保険料徴収なども経験しました。


 次に配属になったのは・・と申しますか、行くことになったのは自治省(もちろん今は総務省です)の外郭団体でした。
市役所から2年間、東京に派遣されたという形になります。ここでは、中学校や高校で英語の先生を補助する外国人の英語指導助手の招致に関わる仕事をしていました。直接の担当は、彼らの就業規則や保険・年金に関する事務です。

その他、受入先の教育委員会とのトラブルなどへの対応・仲介なども担当していました。当時は全国で5000人以上の方が来日されていましたので、彼らの受入れや研修は大きなホテルを借り切って実施していました。市役所では体験できないようなある意味華やかな仕事でしたので、貴重な経験をさせていただきました。


 市役所に戻ってきて配属になったのは、国際交流課でした。
ここでは、姉妹都市交流や市とかかわりの深い国際親善協会の事務局の業務を担当しました。国際親善協会には数多くの市民ボランティアの方が登録されており、それらの方々と様々なイベントを企画・実施しました。
役所を辞めて6年以上になりますが、今でも連絡を取り合う方が幾人かおり、信頼関係を築けたと思っています。

 国際交流課勤務時で最も思い出深い出来事は、2001年9月11日の同時多発テロ事件です。あの時、一般市民の方約50名の方とニューヨークに滞在していたのです(アメリカの姉妹都市を訪問した…


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