教職関係 経験談

保健室の先生からメイクセラピストへ。自分がしないで誰がする!と一歩を踏み出す。

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教職関係経験談

第二の仕事人生

公務員からの独立・起業

取材エリア

関西

お名前

みきしほ 様

経歴

1984年 兵庫県に採用の後、八鹿市立八鹿中学校に奉職。
その後、兵庫県内の小学校や養護学校(現、特別支援学校)等に転勤
→ 2002年18年間勤務の後に退職
→ メイクボランティアグループ「shin.shinフレンド倶楽部」立ち上げ。
→ 障がい者支援NPO団体「ウエルネットさんだ」コーディネート
→ メイク講師として関西から東京まで活動する
→ 2010年神戸市にて「メイクセラピーshin.shin」開業
→ 2012年芦屋エステサロン開業

関連サイト

http://salon.therapy-shin2.com/

保健室の先生をしながらボランティア活動に大変力をいれられ、活動に専念するために退職。そして、その活動の傍らメイクセラピストに転向されたみきさんの退職経験談です。


本日はインタビューに協力いただきありがとうございます。
公務員時代のお仕事内容から聞かせていただけますでしょうか。


 仕事は、養護教諭、つまりは保健室の先生をしていました。
養護教諭は基本看護師の資格は要りませんが、元々は看護師を目指していましたので、公務員になる前に既に資格は持っていました。

 

―基本的なことで申し訳ないのですが、養護教諭と聞きますと、ハンディのある子どもたちを指導する仕事と思っていたのですが、また違うのでしょうか。

 たまに間違われますが、それは養護学校教諭ですね。私はそれではなく、養護教諭(保健室の先生)になります。

 

―なるほど。では、続けてお願いいたします。

 採用は養護教諭ですのではじめは一般の中学校で働いていましたが、私自身が希望したこともあり、障がい者の子どもたちの養護学校に転勤させてもらいました。
ここでの仕事は大変にやりがいが大きかったので、その後は希望し、養護学校を中心に勤務いたしました。

仕事内容は、

(想像されるとおり) 一般の人が上下ジャージを想像されますか?

須田さん(インタビューアー)はどうですか?


…例えばTV「ごくせん」のやんくみ先生のように…とか


上下ジャージで聴診器を首にぶら下げて、校内を走り回り子どもたちの健康管理のケアなどです。


 保健室の先生と言えば、ベッドのある部屋で白衣を着て優雅に生徒さんを癒してあげるイメージがあるかも知れませんが、わたしは、全校約50人までの少ない人数の子どもの命綱を管理していましたので、養護教諭としてはかなり医療的でしかもトイレに行くのも「行ってきます」と必ず人に言わないと場を外せないほど忙しかったです。
とても充実していましたし、今の自分の原点を築きあげる事が出来たと感じます。



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