国家公務員(事務)経験談

霞が関を去ったからこそ著せた『はめられた公務員』。

カテゴリ

国家公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員から公務員(系)へ

取材エリア

関西

お名前

中野雅至 様

経歴

同志社大文学部英文学科卒
→大和郡山市役所上級職として入所
→労働省入省
→公募にて兵庫県立大学教員

同志社大文学部英文学科卒
→大和郡山市役所上級職として入所→労働省入省→公募にて兵庫県立大学教員となる。


―はじめに国家公務員になった経緯をお聞かせください。

 私はもともとはジャーナリスト志望でしたので、大学4年の時にいくつか新聞社を受けました。しかし、どこにも採用されなかったので地元の市役所に就職しました。ただ、最初から志を持って市役所に勤めていたわけではありませんでした。

そんなこともあって、勤務しだしてからすぐに、「これから定年まで同じ生活を続けるのか」と考えるようになりました。また、もっとやりがいのある仕事をやりたいと思うようになりました。そこで、国家?種試験を受けることにしました。

―という意味では「役人転業」でもあるわけですね。市役所にはどれぐらいお勤めで、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
 勤めたのは1年弱の期間で、固定資産税課に所属していました。土地や家屋を調査して資産評価するというのが主な仕事でした。


―その後、国家公務員時代は具体的にはどのようなお仕事をされていましたか。

 これまでの仕事(配属)の経歴として申し上げれば、労働行政では労働時間の短縮政策、労働組合政策、高齢者・障害者の雇用政策、ILO条約の批准を中心とした国際労働行政を担当し、厚生行政では衛生政策を担当したことがあります。地方に出向し、県のIT政策に関わったこともあります。


―辞めたのは何年目ですか。

 14年間勤務して辞めましたので、辞めたのは15年目ということになるでしょうか。39歳の時です。


―国家公務員の仕事に不満はありましたか。

 特段大きな不満はありませんでしたが、年々疲れてきたり、やりがいが少なくなっていったと思います。


―国家公務員を辞めた原因は何ですか。

 仕事にやりがいを感じなくなったこと、自分の仕事が影響を与えているとは考えられなくなったこと、役立っている実感が持てなくなったこと、言論…


ここから先の記事は会員限定です。会員登録は無料で、詳細な個人情報の入力なく1分ほどで完了します。

今すぐ会員登録を行う (無料) ログインする



国家公務員(事務)経験談に属する他の情報を見る