地方公務員(事務)経験談

辞めた後も自治体の公共システムアドバイザー。局アナがフリーになってもとの番組に続けて出ている様なもの

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関西

お名前

非公表

経歴

関西の私立大学卒
→池田市役所入庁
→NPO法人 地域情報化推進機構副理事長のほか、フリーの公共情報システムアドバイザー

関西の私立大学卒→池田市役所入庁
→退職後、NPO法人 地域情報化推進機構副理事長のほか、フリーの公共情報システムアドバイザーとして活躍

―はじめに公務員になった経緯をお聞かせください。
 父親が地元の市役所に勤めていまして、子どものころ、父の部下がよく家に遊びに来たりして、市役所の仕事って楽しそう、地域にも貢献できそうだし…ぐらいの気持ちからだったと思います。これがやりたい、という確固たる信念まではありませんでした。

―市役所でのお仕事内容を簡単にお伺いできますか。
 最初の配属が市立病院の庶務部門でした。ここで給与事務の電算化の案件にかかわりました。その経験が見込まれたのか、次の異動が国民健康保険の部署で、これまた電算関係の仕事でした。当時ですから、当然汎用機(ホストシステム)でした。その後もずっと情報化関係の部署を回り、近年では地域イントラネット、地域間を連携したポータルサイトの構築など、ネットワークインフラ・上流部分の企画・実現にかかわってきました。また、「大阪スマートICコンソーシアム」では住基カードに先立ったICカードの導入も行いましたし、最近よく話題となる安全・安心に関するシステムでは、独居高齢者を見守る「ペット型ロボット」や、「ANSINメール」の開発にも携わりました。

―辞めることになったきっかけは何ですか。
 仕事を続ける中で各界に人脈ができてきて、情報化関係で地元以外の団体からアドバイスを求められることが多くなりました。手続き上問題のないように兼業していたものの、時間的なことはもちろん、発言の制約など立場的な縛りが多いと感じていました。地域情報化に貢献しているとは言うものの、外の仕事ばかりやっていると庁内で言われるのも何なので、それならきっぱり辞めて自由にやりたい、と思うようになりました。

―辞めるタイミングはどのようにしてお決めになりましたか。
 市長には、勤続30年または50歳を区切りにして外へ出て自由にやりたいと以前から伝えていました。しかし、仕事の切れのよいタイミングを考えた結果、辞めたのは53歳のときです。



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