その他公務員 経験談

「海猿」の世界から、陸(おか)を目指す

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北海道・東北

お名前

非公表

経歴

海上保安大学校
→海上保安庁入庁
→外務省出向を経て辞職
→北海道にて農業研修

海上保安大学校→海上保安庁入庁→外務省出向を経て辞職→北海道にて農業研修

―はじめに海上保安官になった経緯をお聞かせください。
 叔父が海上保安庁の職員で、色々とある公務員試験の一つとして受験を薦められ、海上保安大学校を受験しました。当時の本命は千葉大学園芸学部で、その受験前の力試しとして受けました。少し前には国家公務員?種の試験も受けていました。もともと農業関係の仕事に就きたい、あわよくば農業の経営をやりたいとも思っていました。結局、国?は落ち、千葉大学と海上保安大学校は合格しました。
 両親や親族と大揉めに揉め、結論として海保大に入学することになりました。当時の実家の経済的な状況もあり(海保大では給与が支給されますし)、海保大に入れば国家公務員という安定した立場、ましてや海保の幹部職員になれるという立場でしたから、千葉大学に行ったところでどうなるんだという言い方に何も言えませんでした。

―公務員時代は具体的にはどのようなお仕事をされていましたか。
 海保大での学生時代はカリキュラムどおりの授業や訓練を受ける日々でした。航海、機関、通信のどれかを専攻するのですが、私は機関を専攻しました。これは成績不良のために選択の余地がない中で選んだ専攻でした。
 卒業後に研修があり、その後、十一管区本部(那覇)の巡視船りゅうきゅうの主任機関士として着任しました。船の機関士として仕事もあり、海難救助や各種の訓練などもやっていました。主任と言えど、仕事は何もできません。聞いて言われて考えて。試行錯誤の連続でした。九州南西沖不審船事件に遭遇し、その現場に行ったこともあります。
 那覇で1年程度過ごし、舞鶴の巡視船みうらに移りました。この船は海上保安学校の練習船でもありましたので、学生さんの乗船実習の時は教官として、機関のことを中心に色々と教えていました。色々な理由で海上保安庁にやってきた学生がいて、私の入庁の経緯が経緯だけに、彼らと話していること自体が私自身の考えの整理にもつながりました。
 舞鶴での教官生活を2年過ごしたあと、外務省出向になり、アジア大洋州局の北東アジア課で2年勤めました。韓国の担当の一人として、日韓の過去に関する話などや、文化交流など、とにかく盛りだくさんで…


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