国家公務員(事務)経験談

あと1年いれば共済年金がもらえたにもかかわらず役人廃業を敢行

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国家公務員(事務)経験談

第二の仕事人生

公務員からの転職

取材エリア

地域関係なし

お名前

非公表

経歴

広島大学法学部卒
→放送大学教養学部卒
→桜美林大学大学院修了
→国家公務員初級合格
→広島大学をかわきりに文部省・関連機関に勤務
→桜美林大学職員に転職

広島大学法学部卒、放送大学教養学部卒、桜美林大学大学院修了→国家公務員初級合格→広島大学をかわきりに文部省・関連機関に勤務→桜美林大学職員に転職
文部科学省職員から桜美林大学職員に


―そもそも国家公務員になった経緯を教えてください。
 大学入試で一浪していた年、私立大学には受かっていたのですが、国家初級も受けて合格しまして、広大から就職内定を頂きました。広大法学部夜間に合格したので、大学に勤めながら夜間部に通うことにしました。当時は大学職員や県庁・市役所などでは、昼間働いて夜に大学に通う人がけっこういたのです。

―大学を卒業するときは民間を目指そうとしたとか。
 実はそうで、民間企業の就職活動もしました。しかしその場合、ほぼ地元企業の就職になってしまうのです。当時、せっかくだし一度は東京で働いてみたいという気持ちがあったので、それなら文部省本省に転属希望を出せばいけるのかな、と考えて役所に残ることにしました。

―公務員・外郭団体時代の経験を簡単にお聞かせください。
 経歴を見ていただければわかるとおり、さまざまな機関・部署に異動しています。主なものだけ抜粋すると、広島大学では大学の事務職員、文化庁では文化財関係の事業の執行や補助金関連、文部省では私立大学の設置認可や大学入試などの仕事をしていました。島根医科大学に異動したときは、学長の意を受けて新学科設置のため教員集めにも奔走しました。

―転職のきっかけは。
 島根医科大学での教員集めの仕事は、本来なら教員がやる仕事で、事務方の出る幕ではないのですが、学長の信頼を得てさまざまな経験を積ませていただきました。これがその後の転機となったことは間違いありません。再び東京での勤務になったとき、テレビにも出ている桜美林大学の諸星裕教授と知り合う機会を得て、教授の講義で米国では「大学運営のプロ」がいるということを知りました。また、同じく桜美林大学の寺崎昌男教授の講義を聴いているうちに、大学経営や大学の歴史についてもっと勉強してみたいという意識が高まりました。そんな中、諸星教授から、「大学経…


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