その他公務員 経験談

国は頼れない。最後に頼れるのは自分だけ。自衛官から起業へ。

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第二の仕事人生

公務員からの独立・起業

取材エリア

関東

お名前

中田浩二(仮名) 様

経歴

2005年 航空自衛隊に入隊(奉職)
→ 2012年 7月末 退職
→ 2012年 アルバイト兼自営業(起業準備継続中)

航空自衛隊に幹部候補生として入隊の後、起業のため退職されました中田さんのインタビューです。


-本日はインタビューに協力いただきありがとうございます。では、公務員時代のお仕事内容から聞かせていただけますでしょうか。

 防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入隊し、様々な配置を経験しました。

○2005年4月~9月  

航空自衛隊幹部候補生学校入校しました。生活自体は防衛大学校の延長でしたが、とにかく、航空自衛官として必要な知識や幹部自衛官として必要なスキルを身に着けさせるために詰め込みの教育訓練を受けました。
特に、24時間かけて、真夏の暑い中、60km徒歩行進をしたのは思い出深いです


○2005年9月~2006年6月 

航空機整備幹部という職種に配置され、那覇基地勤務になりました。
しかし、2か月間の部隊勤務の後、再度、静岡県浜松市にある第一術科学校に航空機整備を学ぶため入校しました。思い出深いことは、F-15戦闘機のエンジン始動をしたことです。


○2006年6月~2007年6月
那覇基地、第83航空隊南西支援飛行班整備小隊長として勤務しました。T-4を4機保有し、その整備をしている部署でした。

23歳にして、初めて部下整備員10名(19歳~53歳)を持ち、部下整備員のマネジメントと、パイロットに航空機の整備内容を説明する業務をしていました。航空機の実知識がほとんどない状態で、航空機の品質維持をするための部下整備員に対する教育と、パイロットへ整備内容を説明するのに奮闘していました。


 ○2007年6月~2008年11月

3那覇基地、第83航空隊整備補給群修理隊エンジン小隊長として勤務しました。
その時、部下が50名になり、大人数を指揮することの難しさを感じました。また、那覇基地に配置する戦闘機をF4からF15に変える大きな事業があり、新施設の建設や整備員の教育訓練計画の作成と実行に奮闘したのが思い出深いです。

○2008年11月~2011年5月
 美保基地勤務(…


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